Category Archives: In Japanese 日本語

ある柄谷行人から

告白という形式あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。問題は何をいかにして告白するかではなく、この告白という制度そのものによる。隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべき事を、あるいは「内面」を作り出すのである。『日本近代文学の起源』

Posted in In Japanese 日本語, Literature, Quotes, Thoughts | Comments Off on ある柄谷行人から

徒然草の26段の始まりの

この26段目の始めの部分が昔から好きだった。その意味するところは、
Continue reading

Posted in In Japanese 日本語 | Comments Off on 徒然草の26段の始まりの

昔のノート再び

歩けない 雀をそのまま
残して歩く Continue reading

Posted in In Japanese 日本語 | Comments Off on 昔のノート再び

十数年前の二つの夢

Continue reading

Posted in In Japanese 日本語 | Comments Off on 十数年前の二つの夢

19〜20歳の時に書いた文章

きっと私のブログは誰も読まないので、こういうものを載せてみようと思う。私が作るような作品でアーティストとして活動している場合、ある意味で私がどういう文章を書いているか、どういう内容を書いているかという事が、作品の観察者にとって重要になるような気がする。もちろん基本的にはこれは自意識過剰な考え方であり、どっちにしても、私が何を言おうと、世界は変わらない。(私はあえて、私が何を作ろうと、世界は変わらない、とは言わない。言ってはいけない。。。)とにかく、これらの文章、そしてこれから時々載せるであろう私の古い文章は、私の現在の作品とは関係がない。もしくは私が書いたという事実のみが関係だ。ただ、とりあえず、私が若い時に書いたのだから、稚拙だろうが、他人の影響が明らかだろうが、それはそれでいいのだろう。うん。それでいいんだ。 ****** 昔のノートより ****** 霧 霧の向こうにうっすらと見えるのは、確かに数年前の僕でした。 霧の向こうからは中学生の頃によく聴いた歌、もう死んでしまった犬の白の声、隣の猫に食べられてしまったジュウシマツのさえずり、そして母の声が聞こえます。 そのうち雨が降り始めれば全てが流れてしまうでしょう。 ****** 雨降る日には琴を弾く 黒い瓦からきらきらと しずくが跡絶えることなく落ちている 縁側の戸の溝に水がゆっくりと 深く染み込んで行くように 琴の響が私の皮膚から 魂へと染み込んで行く 雨降る日には琴を弾く 竹の葉がしとしとと音をたて 池がちゃぷちゃぷと音をたてる そして音もなく土の中へと ****** 水滴がそこだけ時が何倍も遅いかのようにゆっくりと地面をつたっている。 地面にこびりついた歴史が、その水滴に浸食されるや、粒子となって融け散って行く。 水滴は限りない歴史を、それが蒸発しきるまでどこまでも運んで行く。 ****** 蝉の声に四方を囲まれながらも もう紅染めの終わった濃紺の空が満天に広がっている。 どこかで風鈴が鳴り始める頃 私は垣根に絡み付いた夕顔の花を見ていた。 ****** 転がっている石ころの形、道路脇の草の生え際、アスファルトのすき間に入ったガラスの粒。そんなものばかりを見ていた。空が雲一つ無い青空であろうと、重く雲が立ちこめ雨が激しく降っていようと、そんなものばかり見ていた。プラットフォームにこびりついた黒いガムの塊を見ながら、私は思った。自分を見たくて自分に触れたくてしょうがない。上を見ても自分はいない。だからいつも下を見て何かを探しているんだ。 そして、空を一直線にかすめる一匹の黒いツバメ。 ****** 真夜中の 列車の窓に刺す光 喜び舞いて 流れゆく ****** 終列車 くすみ沈んだ靴ならべ 今日のあのこと そのこといずこ ****** 影は思い出であり 光は流れゆく時である ****** … Continue reading

Posted in In Japanese 日本語 | Comments Off on 19〜20歳の時に書いた文章

鶴田錦史の琵琶

80歳を過ぎた鶴田錦史が3台の琵琶をバックに地を揺るがすような太く深い声で物語を紡ぎだす作品。病のため本人は琵琶を弾かずに「語り」を担当し3人のお弟子さんが琵琶を弾くというセッティングで非常にインパクトのある変幻自在な音世界を作り出している。戦後、加速する文化的な変化のなかで片隅に押しやられていたかのようなこの日本の伝統芸術が世界に類い稀なる高みに達していることを示す名作。そしてこの録音の約一週間後に鶴田錦史は息を引き取った。雪の降り積む国立劇場での公演の二日後だという。 私が初めて鶴田錦史の演奏に出会ったのは武満徹のエクリプス、November Stepsを通してである。武満特有の静寂からある時は囁くようにそしてまたある時は引き裂くようにたたみかけてくる彼女の演奏に私はショックを受けた。琵琶と言えば「日本マンガ昔話」の琵琶法師というレベルだった私は琵琶という楽器の表現力の幅広さ、そしてその肉体を共鳴させて止まないノイズを含んだ音の虜になった。琵琶法師はそれなりに恐ろしかったし、正倉院に残る五弦琵琶は本当に美しいと思っていたが、琵琶の音を眼前にしてあまりにも生々しくこの日本の伝統的な楽器の絶対的な力を体験した。 戦前に琵琶の奏者としてアイドル的存在だった鶴田錦史は「戦後」が多くの伝統芸能を衰退させたように経済的な理由から一時的に一線から手を引くことになる。実業家として成功した鶴田錦史は武満徹に「再発見」されることにより「ただの琵琶弾き(錦史談)」から一躍現代音楽界で注目を浴びることになる。武満徹とともに次々と新しい琵琶の演奏法をあみだし琵琶楽に革命を起こす。様々な楽器との合奏や、コンタクトマイクの使用も試みる。晩年は若い弟子の養成に力を注ぎ、果ては「琵琶バンド」を夢見ていた。20代の女性ばかり5、6人「それも、きれいな子じゃなきゃ駄目よ。もちろん、演奏がうまい子で」と言っていたらしい。 それを継承してそのまま地で行っている鶴田錦史のお弟子さんだった西原鶴真さんという方がいる。伝統的演奏だけでなく彼女はエレキ琵琶を作り「バンド」演奏をしている。鶴田錦史から引き継いだ鶴派の演奏もさることながら、ダンサーや様々な楽器奏者と共演して新境地を開き続けている。鼓とパーカッションを驚くべきテクニックと音楽性で奏でる仙波清彦の例を出すまでもなく、伝統芸能を引き継ぐものが「現代」という時と戦って、そしてその戦いを楽しんでいる姿は非常に美しい。 「語り」ということ なぜ平家物語の力が現代によみがえるのか。既に知っている物語をそれが語られることによって私達は生身で体験することになる。語り手という人間の身体(声そして演奏)が聞き手の前に立ちはだかる。人間の人間による人間のための語り。身体の身体による身体のための語り。薩摩琵琶の程よく「ノイズ」の混ざったパーカッシヴな音は「ひと響きひと響き」聞き手の体の芯まで突き刺さってき、語られる「ひと言ひと言」が記憶の奥底まで沁みてきて、背筋が寒くなり、人間は精神も身体もただ一つの生身そのものである。。。という瞬間の連続がただ連なってゆく。語り手は登場人物であり、登場人物は聞き手であり、聞き手は語り手だ。 「俊寛」 力及ばず、詮方なみに踊り籠み、船よ船よのう、と呼ばわれど返すは無情の波の音、あはれ非常の風の声。 琵琶のように表現豊かな伝統楽器を持つ集団の子として産まれたことを私は本当に誇りに思う。これは決して陳腐な愛国主義ではない。西アジア、アラブで産まれた人間の音楽の達成が世界を渡り歩いて渡り歩いて我らが島にたどり着き、我らが先祖はそれを単に正倉院にしまい込んだだけでは飽き足らず、琵琶が歩いた世界の道すがらどこにも見当たらない音楽表現を築き上げた。 語りとともにあった琵琶。音楽を構築するのではなく、世界を現前させるための琵琶。中国の琵琶がフレット数を増やし高度な音階表現を実現することを可能にしたのに対して、日本の琵琶は、あえてフレット数を少なく押さえ込み、弦高と駒を高くすることにより押さえる指の力が直接音に現れるようにした。一音一音に込められる精神の力。それは琵琶の一音一音は音楽の一部というよりはむしろ記憶・歴史の深みから絞り出された語りの一部であるかのようである。 「俊寛」前半 「俊寛」最終部

Posted in In Japanese 日本語, Music | Comments Off on 鶴田錦史の琵琶

三島由紀夫「若きサムライのために」より

三島由紀夫「若きサムライのために」より 肉体について 「これからますますテレビジョンが発達し、人間像の伝達が目に見えるもので一瞬にしてキャッチされ、それによって価値が占われるような時代になると(中略)目に見える印象でその全ての人間のバリューがきめられてゆくような社会は、当然に肉体主義におちいってゆかざるを得ないのである。私は、このような肉体主義はプラトニズムの堕落であると思う。」 快楽について 「性をめぐって情熱と快楽とは正反対に位するものであろう。ごく簡単に図式的に言えば、若者の性は最高の表現をとる時に情熱になり、おとなの性は最高の表現をとる時に快楽になるということができよう。しかし、現代の若者は、性を情熱からさえ解放しようとしているのである。快楽には金がかかり、これは若者には不可能である。情熱には一文の金もかからないが、命をかける覚悟がなくてはならない。命をかける覚悟もなく、金も持たない若者が、しかも性を味わおうとする時に残されたものはあたかもピル・セックスのような、観念的な、末梢神経の戯れになる他はない。性欲の最も盛んな時期に、そうした衰弱した性だけしか若者に与えることのできない社会に、若者が何らかの不満を持つに至ることは、避けられないことである。」 長幼の序について 「フランスの十九世紀の有名な批評家サント・ブーヴの『わが毒』という随想集の中に(中略)『齢不惑を超えた高名な多くの人々の間に、失敗や脱線や狂気のさたや卑劣な行為を見るにつけ、ぼくは思う。向こう見ず焼きの早さはあるが、青春というものはやはりまじめな聡明なものだ。方向を失って軽薄なものになってしまうのは、かえって人生の後半においてだ』と。 文弱の徒について 「ほんとうの文学は、人間というものがいかにおそろしい宿命に満ちたものであるかを、何ら歯に衣着せずにズバズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷の見せ物のように、人を脅かすおそろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅惑に満ちた描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教えてくれるのである。そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。そして、もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れて行ってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが『よい文学』である。」 努力について 「努力の価値が一度も疑われなかったというところに、日本という国のある意味では民主主義的な性格が、よくあらわれている。なぜなら、努力とは非貴族的な性格のものだからである。(中略)『天才は努力である』ということばは、いわばなりあがり者の哲学であって、金もなく、地位もない階級の人間が世間に認められるための、血みどろな努力を表現するものとしてむしろ軽んじられた。」 「人間は、場合によっては、楽をすることのほうが苦しい場合がある。貧乏性に生まれた人間は、ひとたび努力の義務をはずされると、とたんにキツネがおちたキツネ付きのように、身の扱いに困ってしまう。(中略)彼らにとっては、努力を失った人生の空虚というものに、ほんとうに対処するすべを知らないので、また別のむだな努力を重ねて、死ぬまで生きたいと思うわけである。しかし、実は一番つらいのは努力することそのことにあるのではない。ある能力を持った人間が、その能力を使わないように制限されることに、人間として一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らなければならない。 東大を動物園にしろ “痩せた豚になった” 「結局、身をもって真実を守り人間を尊重したのは、林健太郎教授ただひとりじゃないか。ああして最後まで頑張って自己を尊重し、自尊心を守ることが、とりもなおさず人間を尊重することになるんだ。自己を尊重できないものが、どうして人間を尊重でき、真実を尊重できるのかね。」 未来を信ずる奴はダメ 「未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが”文化”の本当の形で、そこにしか”文化”の最終的な形はないと思う。」 「未来はオレに関係なくつくられてゆくさ、オレは未来のために生きてんじゃねェ、オレのために生き、オレの誇りのために生きてる。」 「言論の自由とか、自由の問題はこの一点にしかない。未来の自由のためにいま暴力を使うとか、未来の自由のためにいま不自由を忍ぶなんていうのは、ぼくは認めない。」

Posted in In Japanese 日本語 | Comments Off on 三島由紀夫「若きサムライのために」より